[char no="7" char="遠藤メメ"]ねぇ、ねぇ、みんなは孤独死って知ってる?[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]ひとりで誰にも看取られずに一定期間発見されなかったことを孤独死って言うらしいのだけど・・・[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]誰もが最後はひとりになるんではないかな?[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]そういう場合も孤独死扱いにされるのかな?[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]孤独死っていう定義は「誰にも看取られずに自分の住んでいる部屋で発見されず一定期間なくなっていた人のこと」なんだよね。[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]一定期間???[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]一定の期間[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]・・・[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]・・・[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]・・・・・・・・・・[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]・・・・・・・・・・・・・・[/char]
孤独死の一定期間とは
孤独死で意味する「一定期間」とは、3日なのか、1週間なのか、10日なのかよくわからないですよね。2〜3日で孤独死と断定されるケースもあり、1ヶ月発見されないままともありますし平均的に感じた日数は1週間が少なくないように感じます。
一定期間という定義づけはあっても、曖昧な面もあると思います。2〜3日姿が見れなくても旅行に行っている可能性もあるわけですから姿を見ないからと行っても孤独死ということにはなりませんよね。
ただ、姿が見れなくなっても夏場は「臭い」は発生するのでわからないということは少ないと思います。その臭いは普段生活していて嗅いだことのないような臭いですからすぐわかると思います。
人間が感じる「臭い」のメカニズム
人が臭いを感じるとき、遠い記憶や感情がよぎる感覚はありませんか?
「懐かしい臭いはなんですか?」と聞かれた時、多くの方はその光景などが頭の中に浮かびながら答えていると思います。
臭いというのは多くの動物にとって記憶の最良の手がかりと言われてきましたが、野生動物を例にすると「臭覚」は食物のありかを探すアンテナとなっていて、子孫を残すときも相手を知ろうとするときも判断するのは「臭い」という大切な役割を担っています。
料理を食べるとき人間は「味覚」で判断すると思いますがそれがどのような「臭い」をしているかは「臭覚」で判断します。
味覚は食べてみないと判断できませんが、臭覚というのは料理でいうと「美味しそうな匂いがするなぁ」と思うことがあると思います。
それは、「分子」というそれぞれが持ち合わせていて材料が分子を放出し、その分子を嗅覚で吸い込むといった「分子」による伝達方法です。
そして、それが脳に伝達され見たいという欲求を抱き、食べてみて美味しいかどうかを判断するという嗅覚から生まれる一連の作業となります。
人間の脳は、臭い分子を受容体で電気信号を受け取りそれが脳の嗅球に伝わり大脳の嗅皮質に伝達されるようになっていて分子をどのように認識するか長年の研究ではまだまだ解明できていないこともあります。
なぜ、孤独死は発見されないのか?
日本が敗戦して何もかもが無くなってしまったところから、一生懸命日本を立て直してきてくれた先人がいてそこには様々な苦労や悲しみもありました。
何もかもが「一生懸命」だったあの頃。
家族や町には相手を思いやりながら生きていく絆がありました。一家の大黒柱は無我夢中で働き家族を守ってきました。
しかし、現代はその絆が変わって家族の在り方が昔と今では違います。
一説には核家族化が進めば進むほど孤独死などが増えると言われておりますが、私たちはそうとは思いません。
「核家族化」?????
昔は、「男は外で稼いできて家は妻が守る」というステータスだったのが普通です。しかし、そのスタイルが時代とともにできなくなったこと。
女性でも、結婚したから家に入るのは当たり前ではなく結婚しても第一線で働くことができる時代へ変化してきました。
そして、結婚をしなくても生きていけるようになれば一人で生きていきたいことは変ではありません。
では、核家族化とはなんなのでしょうか?
核家族とは
核家族とは夫婦とその子孫が未婚からなる家族のことです。日本では家族形態の変化として常套句となっていますが、第2次世界大戦後の高度経済成長の過程で大都市への人口集中などにより3世代家族などの大家族が減少し、核家族化が進展してきたと認識しているのが一般的です。
総務省などの国勢調査などを見ていると必ずしも核家族化が進展してきたと断言できないのが伺えるのです。
核家族世帯は1920年(大正9年)の第1回国勢調査時点で全世帯の半数を超えています。当時は子供は5人以上生まれていても結婚すれば別世帯を構えるため親と同居できるのは2組の子供夫婦だけで、そのほかは核家族化と言われても仕方がない。
また親の寿命も現在よりは短いため親と同居できる期間も短かったものと考えられます。夫婦と子に加えて夫婦の親などが同居する拡大家族(ビッグファミリー)の割合が1920年当時で全世帯の3割となっていることもこうした見方を裏ずける証拠であると言える。実は核家族世帯は以前から主流で現在になって核家族化が増えたことではないのです。
その1:なぜ孤独死は見つからないのか?
「ライフワークの変化」が要因になっていることも・・・
男女平等の社会になってから男性よりも女性が最前線に出てくることが多くなって、女性は家庭を守るということをしなくてもよくなった。
現在では、男性の多くが「夢がない」という風潮が少なくありません。なぜ、そんなに絶望しているのか、絶望しているわけではないけれど夢を持たなくても働いていれば生きていけるといった感じを受ける。
女性が最前線で本領を発揮すればするほど男性のやる気が発揮されなくなっていることも現実であるように感じます。
夫婦で忙しく働き、親が一人暮らしをしながら少しの間連絡を取っていなかった時に「不幸がやってくる」ホームヘルパーに任せきりになっていても、ホームヘルパーは親の異変には気づかないケースがあり、次の日、翌々日に部屋に行った時には亡くなっているといったことも。
もちろん、夫婦で働いてホームヘルパーに任せることが悪いといっているのではなくて、誰も発見されないまま2日ほど過ぎてしまってもそれが「孤独死」とされてしまうことに現代の問題があるのではないかと筆者は思っています。
その2:人への関心が減ってしまった
「ひとごと」になってしまっている・・・
孤独死していた部屋をまず、最初に発見する人は、新聞配達の人やその部屋の前を通りがかっている住人など。
- 少し窓が開いていて見えたり
- 窓にはおびただしいほどのハエが飛んでいたり
- 嗅いだことのない異臭が付近に漂っていたり
- 誰かが通報してくれるだろうと人任せ
夏場であれば遺体は1日で腐敗が始まり、2日目には腐敗臭を放ち始めてしまう。そんな状況で異臭がしていることは感じていても「誰かが通報してくれるのでは?」と放置期間が延びてしまうことが考えられます。
確かに近所付き合いは、都会で昔に比べれば積極的にすることはあまりありません。入れ替わりの激しい都会ではそこに長く留まっていることも少なくないからです。
むずかしい人との近所付き合いも敬遠されがちになってきますし、ゴミをあさるようなお節介なことも人とのコミュニケーションをなくしてしまっているような感じがします。
人と話すよりも、現代はスマホというツールがあります。便利になり過ぎた世の中で人との会話を楽しむ機会も減少していて、スマホ世代ではない方達はことば遊びもできなくて寂しい暮らしをすることもあります。
人の気配よりも、スマホの画面の方を見ていて、ドアを閉めれば近所にあって挨拶するよりもスマホを眺めてしまう世の中。
やがて人は声のトーンを感じながら話すのではなく、スマホの文字だけで会話する未来が人への関心をなくしてしまっているのではないでしょうか。
その3:いつ誰が当事者になるかわからない
なぜ、自分は死なないと思っているのだろうか?
-
- 年齢が若いから大丈夫
-
- 病気なんかしてないから平気
-
- 体が丈夫だから死とは無関係
人が亡くなるということは、病院のベッドで最後看取られて亡くなるとは限りません。むしろ体の不調は突然やってくることも多いにあることです。
孤独死ではなく「自宅死」
「夢は夢 たった一夜の かぐや姫」 孤独死と言っている現場に残された故人の詩
これは実際に残されていたメモ書きだった。数々の現場をこなしてきた私たちも自然に涙がこぼれ落ちてしまう詩だった。
もちろん、前後のストーリーは遺品整理をしていて分かっているけれどその故人の相手を思う気持ちを表していたと思う。
私たち遺品整理人®︎が思っていることは、「孤独死」や「孤立死」という呼び方ではなく自宅死で良いのではと思うのです。
孤独死などは行政管轄が付けた言葉かもしれませんが、その孤独死という表し方が本当に良いのかわかりません。遺族にとっては孤独死と言われて悲しみの中複雑な言われ方になるかもしれないんです。
そして、孤独死という「故人が本当に孤独だったのか?」という点
近所との付き合いもしていて、挨拶もしていた最近姿を見なかったから見つかった時には日数が過ぎていた。それが孤独死になってしまうのか?
周りは気づかなかったのか?
気づいていますよね?「最近姿を見なかったから」
それだけ、いま、近所付き合いをしていても気づいてもらえない現実が起きていることはこの記事を見るまではわからないことだと思います。
私たち遺品整理人でさえ、「近所付き合いしていたのに自宅で亡くなっていても気づいてもらえないの?」って思ってしまうほどですから。
しかし、それだけではなくその後近所では「あそこの何々さん孤独死だった」なんて言われたら悲しいですよね。
ですから、私たちは極力孤独死という表現ではなくて自宅死という表現を使っています。
孤独死という呼び方以外にどんな表現がふさわしいと思いますか?みなさんの思いつく表現をコメントで教えていただけませんか?・・・
「近所付き合い」って何のため?どんなメリットがあるの?
そもそも、ご近所さんとは「お互いの家が近いという条件でつながっている関係者同士」で立場や家族構成はさまざまです。ですから考え方や住み方が異なるのは当然のことなんです。
そのため、時にはトラブルに巻き込まれることもありますがメリットもあるのは確かです。
顔も知らない人たちが出入りしている状況は先住人からしたらとても不安で恐怖感からトラブルに発展してしまうこともあるようです。
もしこれから直下型が来て自分が逃げ遅れたとしたら隣近所の人たちが救助してくれるかもしれません。それが全く顔を合わせたこともない人ならば救助よりも自分が大事となることがあるでしょう。
こんな言葉があります「遠くの親戚よりも、近くの他人」
ここまで孤独死って呼び方でいいの?って述べてきましたが
人はいつか必ず死ぬ時がやってきます。
これはどんな人でも平等にやってくる死という現実です。
生まれてくる時も、一人で生まれてきて最後を迎える時も一人で死んでいく。
人間がその生涯を生きてきた時、人との思い出を作り相手の記憶へ自分の残存を残していきます。
自殺しようとしている人以外は、自分の住んでいた家財道具は人に片付けてもらうしかありません。死んでから自分で片付けることなんてできませんので。
新型コロナウイルスという感染症も出てきて、稼ぐよりも休んで収束させなければ日常が戻ってきませんし働かなければ稼ぐことはできません。
みんさんは、どう思いますか?
呼び方次第で仲良くても冷酷さを感じる
[char no="7" char="遠藤メメ"]なるほど〜、孤独死って言い方の問題があるのねー[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]表現としては孤独死で済むかもしれないけど、自分が遺族で「孤独死で発見されたんでしょ」って言われたらちょっとって思うよね。[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]そうかも、今までは孤独死っていうから孤独死って思っていたけれど、孤独じゃない人もいるもんね〜[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]みんながみんな、孤独死ってことだけじゃないっていうのを伝えたかった[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]知らない人からしたらそんなに孤独だったんだって思っちゃう[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]だけど、一定期間とか実は決まっていない期間で孤独死と言われても・・・[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]そうよね〜[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]結局、臭いが出て近所に知れたら孤独死と確定されるなんて[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]・・・・・うん。[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]だったら、孤独死っていう言葉ではなくて違う言い方をしたらいいんじゃないかって[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]ひとり死[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]僕たちは自宅死だけど、もしかしたらもっと違う表現もあるんじゃないかって・・・[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]独居死[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]昔から、発見されないままなくなっているケースはあるから[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]単独死[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]数が増えてきたから孤独死、孤独死っていうけど[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]我死[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]昔はね、訳あり物件と言われてたんだよ。[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]個別死[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]ごめん、ごめん・・・・・・・自宅単独死[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]まぁ、そんなことで孤独死という呼び方は切なすぎるからもういいんじゃないかなって思うんだよね遺品整理人からすると。[/char]
[char no="7" char="遠藤メメ"]それもそうかも、違うニュアンスも必要ね。[/char]
[char no="8" char="伊集院ダイ"]普通にある自宅死だから、孤独でもなかったのに孤独死はあんまりだよね、みなさんはどう思いますか?[/char]
2020.6.21 14:00〜
フジテレビ ノンフィクションで放送予定
弊社代表が遺品整理を初めて20年、その間の出来事や代表の反省などをノンフィクションで放送します。
常に代表は言っていました「自分が今、あるのは孤独死の現場から教わることがあったから」
人の死の現場を見て、忘れられていく社会に人の死を伝える。
「孤独死」も「老衰」も一緒である。
病院で家族に看取られて死ぬのが当たり前という風潮から一人の人生が終わったという現実
いきている動物や人はいつか終わりがある。
そこまでの道のりで納得いった人生をそれぞれの生き方で人生を終える。