孤独死という言葉はいつ頃からできたの
一人暮らしの人が今までに家で亡くなっていることは近年になって起きていることではありません。むしろ人間が暮らす場所は人里離れた山の中にポツンと暮らしている人もいますし、街中でも昨日まで元気だったけれど朝になったら死んでいたということだってあります。 しかし、2000年頃からその「一人暮らしの人が誰にも看取られず亡くなっていた」ということをいかに悲惨な風に表現したのがマスコミでした。マスコミにより一般の方が情報を読み取り孤独死という風に知っていったことから現代にも孤独死と呼ばれています。 孤独死という言葉はテレビなどで取り上げていくようになり次第にパワーワード(影響力のある言葉)として使われ若年層の間でも「さびしいから孤独死する」などと軽く使われるようになってしまいました。 一方で孤立死という言葉も広く知られるようになりました。孤立死という言葉は誰が使っているの
マスコミなどが悲惨さを伝える手段として「孤独死」という言葉を使い出すようになりましたがそれらと変わらない表現で行政などでは「孤立死」という表現を使い出していきました。 一人暮らしの人が誰にも看取られずに亡くなる=社会から孤立している人が孤立死 社会的孤立しているから孤立死という表現は行政から見る視点では間違いではないのかもしれませんが、一般的に孤立している人が孤立死するわけではない世の中で少し言葉の意味が違っているようにも感じるとことです。 ですが、当時2000年から誰にも看取られずに亡くなった人を表現するにはマスコミも行政もそれらが適当だったのかもしれません。 [st-cmemo myclass=”st-text-guide st-text-guide-sankou” fontawesome=”fa-quote-left” iconcolor=”#919191″ bgcolor=”#fafafa” color=”#000000″ bordercolor=”” borderwidth=”” iconsize=””]この記事を読んだ方はこちらの記事も読んでいます。良かったら読んでみてください。 https://www.todo-company.co.jp/孤独死ブログ/孤独死した部屋を発見したらすぐ教えよう!死臭/[/st-cmemo]その前はなんて呼ばれていたのか
今は孤独死や孤立死と広く認知されていますが、そのような造語を使う前は「ドザエモン」や「ワケあり物件」などと呼ばれておりだいたい死後1週間くらいが経過している案件が平均的に感じました。 お風呂で亡くなった人は「ドザエモン」お部屋で亡くなった人は「ワケあり」などという風に言えば、察することができたので大々的に知られることもなく片付けられてきました。 土左衛門というのは、力士の名前です。水死体は一旦水に沈んで体がガスを発生しブヨブヨになって水面に上がって来て、ブヨブヨのカラダは力士みたいになることから力士の土左衛門という名前をとって水死体の隠語「ドザエモン」と名付けたのが始まりと言われています。 ですから、川で沈んで亡くなったのではなく浴槽で亡くなってしまっても沈んでガスで体がブヨブヨになることからお風呂でドザエモンと言われていました。マスコミや行政間で孤独死や孤立死という表現言葉を作り現代まで20年間そのように呼ばれておりますがその前はまた違う(ドザエモン・ワケあり)という呼ばれ方をしていた歴史もありました。孤独死というのは自然なこと
誰しもがこの世に生まれて自分なりの人生を過ごし亡くなっていくということはごく当たり前のことだと思いますが、中にはそれを問題とする人も現れてきたことが論争のきっかけになったことは間違いありません。 生を受けすべての人が病院で手厚い治療を受けて逝去することが当然ではなく、入院する費用などがなく貧しい暮らしをしていた場合自宅で療養することもあったと思います。その時に自宅で亡くなったから孤独死したというのはあまりにもかわいそうに思えてきてしまいます。 むしろ、孤独死が多い地区(団地)などでは孤独死が多くなったのが問題ではなくて人と人が関わり合いが希薄(きはく:密度が薄くなったこと)になってしまった現れとして団結力を作り直す取り組みを考え直すことが必要ではないかと感じます。[st-minihukidashi fontawesome=”” fontsize=”80″ fontweight=”” bgcolor=”#3F51B5″ color=”#fff” margin=”0 0 0 -6px”]ココがダメ[/st-minihukidashi]
[st-cmemo fontawesome=”fa-thumbs-o-down” iconcolor=”#3F51B5″ bgcolor=”#E8EAF6″ color=”#000000″ iconsize=”200″]団結力のない地域を隠して孤独死が増えてきたことを問題にするような自治体も現れました。
実際に孤独死の何が問題なのかを説明しないまま自治体は名声だけを売りにするようになりマスコミや行政を取り込み活動を広げていきました。[/st-cmemo]
しかし、インターネットの普及もあり様々な情報が飛び交う現代でその「問題」にする思考もみんなが考えるようになりました。死ということは誰しもが避けられない現実であり人ごとのように思っていたとしてもいつかは自分事になる事ですから孤独死の何が問題なのかを伝えることがマスコミの仕事だと思うのです。
[st-cmemo myclass=”st-text-guide st-text-guide-attention” fontawesome=”fa-exclamation-circle” iconcolor=”#ef5350″ bgcolor=”#ffebee” color=”#000000″ bordercolor=”#ffcdd2″ borderwidth=”” iconsize=””]
- 誰にも看取られず亡くなること:誰しもが家で療養していれば起こりうる現実
- 誰にも看取られず一定期間発見されずに死亡していること
- 亡くなってから発見されるまでの期間
年間3万人の孤独死社会
孤独死は年間にすると約3万人もの人が誰にも看取られずに亡くなっていると言われておりますがその統計はあいまいな点が多いためはっきりとした数字はわかりません。 夫婦で暮らしていてもどちらかが3日くらい旅行に行っている間に留守番の人が急な発作で死亡していて、帰って来てから発見し連絡しても異状死となる場合もありそれが孤独死と言われることなどにはならないので孤独死の統計にはなりません。 そして、高齢者施設で夕食の準備をしている最中にテーブルの椅子に腰掛けたまま亡くなってしまっていたり、朝になって起きてこないから宿直の当番が見に行ったら息をしていなかった場合でありどちらもすぐに救急車で病院へ搬送しても「老衰」として死亡確認が行われたりすると孤独死の統計にはなりませんので3万人というのは少ないようにも感じてしまいます。 どこからを孤独死と断定してしまうのかはやはり死後日数が経過していても難しい造語となるのではないでしょうか。 マスコミにより孤独死という言葉は広く認知され一人暮らしだったから孤独死だったという風潮にはなって欲しくはないと思います。故人には遺族がいることを忘れないでほしい
まだ身内を亡くしたことのない人にはわからないかもしれないのですが、 [st-cmemo fontawesome=”fa-bookmark” iconcolor=”#BDBDBD” bgcolor=”#fafafa” color=”#757575″ bordercolor=”” borderwidth=”” iconsize=””]- 「孤独死」という言葉は遺族を傷つける言葉
孤独死や孤立死に代わる言葉
多くの現場や遺族と接して来て思うことは孤独死と孤立死という言葉は適切ではないということ。 現場の近隣の話を聞いても昨日まで挨拶や言葉を交わしていたけれど、急に見なくなって何日かしたら警察が来て遺体を運んで行ったから最後の言葉をかけてあげられなかったという人が少なくない。 孤独死・孤立死という感じを見るといかにも「誰とも接点がない人が死んだ」という風に感じてしまうと思うが実際の現場はそのような人は本当に少なく、昨日まで普通に暮らしていた人が多いことに驚きがある。それなのに孤独死と呼ばれてしまう現実はもう一度人の死を見つめなおすべきだと思うし家族を急に亡くした遺族がそこから何年もかけて罪悪感と戦いながら這い上がってくることに気を使うべきだろうと思う。 このままの現代ではいけないし人を傷つけるだけの世の中ではいけないと思うし、数多くの現場を見てきた私たち専門家は孤独死ではなく、[st-minihukidashi fontawesome=”” fontsize=”80″ fontweight=”” bgcolor=”#FFC107″ color=”#fff” margin=”0 0 0 -6px”]私たちが適切だと思う言葉[/st-minihukidashi]
[st-cmemo fontawesome=”fa-file-text-o” iconcolor=”#FFC107″ bgcolor=”#FFFDE7″ color=”#000000″ iconsize=”200″]
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