誰もがパソコンやスマートホンなどで情報が手に入る時代になって、文字だけがかんたんに送れることで、本人の表情を見なくても文字で伝達ができてしまう。しかし、弱みを見せたくない人もいて死に際を見せられない人もいる。娘が父親の心配をして文字でやり取りした結果、ひとりお部屋で亡くなった人の最後の返信が「元気だ、大丈夫」という返信だった。
その3週間後、娘の父親は夕食の支度をしている最中であろう様子で近所ではなく訪ねてきた娘に発見された。死亡推定日は文字でやり取りした翌日だった。
「長期間発見されずに亡くなっている注意喚起として」
長期の休暇(盆・正月)の集まる時期にいつものように親族がこない場合、連絡をしてみてほしい。旅行ならば事前に留守にする連絡はしてくれるが、体調がすぐれない・いつものように連絡もないとなればもしものことを考えて電話をかけて見ることが良いかもしれない。長期休暇の前後になると自宅で亡くなっていて発見されるケースが少なくないことが特殊遺品整理人のデータでわかっています。
そして、夏場特有のどの世代にもあてはまる就寝時に熱中症でそのまま就寝中に亡くなって長期発見されないケースにも気をつけていただきたい。
お部屋でひとり亡くなった人の遺品を片付けたり汚れた場所の清掃をする特殊な職業を聞いたりすることはありませんか?お部屋の主人が暮らしていた部屋を清掃する「特殊遺品整理人」特殊遺品整理人とは、なんらかの事情により部屋の主人がそこで誰にも発見されずに亡くなって、遺された遺品と部屋の清掃を行う人のこと。
[char no="17" char="編集部:磐田晃"]この記事を読んだ方はこちらも読まれています。「ふとんのシミと食べかけの夕飯、ミニチュアが孤独死の部屋を物語る」続きを見る[/char]
そのような人のことを特殊清掃人・遺品整理人・孤独死の清掃人などさまざまな呼び方で現代では言われております。当社が20年前に創業した頃は、そのような特殊清掃人などという言葉はなく「わけありの部屋」を掃除する人と言われていました。
まず部屋に入るとそこはただ単に「時が止まっている部屋」昨日まで何事もなく、くつろいでいた部屋の光景が広がっています。
くつろいでいただけの部屋ならば誰でも部屋に入れるのではないかと思いますが、その奥には一人で亡くなった故人の遺体の痕跡が目に入ってきます。
それだけではなく、鼻の奥をつくような強烈な死臭を嗅ぐことで一般の方では数分でえずいてしまうこともあります。ネットやテレビなどの画像では伝わらない死臭が存在し腐敗してしまった体から発する腐敗臭がドアを開けないまま部屋全体に漂っています。
夏場2日もあれば腐敗は進み、死臭が漂い遺体は黒ずみ虫(ハエ)が遺体に産卵します。ハエは3〜5日で繰り返し産卵し、一生に産み落とす卵は1匹で500個ほど。ハエの一生は6週間前後とも言われておりますが、2週間もあれば成虫になり飛び渡ります。
発見が遅れれば遅れるほどハエの数は多くなり部屋中がハエだらけに。
ハエは遺体などの物体に寄生すると、唾液と酵素でドロドロにして眼球から食べ始めます。そこへ産卵しウジになって成虫へと発展していきます。ただし、遺体に産卵するために寄生するハエは1匹ではありませんので遺体の発見自体が1カ月ともなれば何千〜何万匹のハエが部屋を飛び回っています。
誰にもみとられずにひとりお部屋で亡くなった遺体は、異臭によって発見されるように最後の無言のSOSを発信します。それをひとごとで通報せずに放置してしまい、遺体発見まで遅れてしまっている事実があります。放置すればするだけ良いことなど一つもありませんが都会で近所に誰が住んでいるかわからない・地方でも近隣との付き合いが乏しい関係などでは通報という手段でさえもなかなかできない現実なのかもしれません。
私たちが特殊な遺品整理人を職業としていて感じることは、こんなにも遺体がドロドロになって肉が削げ落ち一生を終えたハエと成虫になったハエが入り混じっている部屋になるまで「相当の期間と臭いがあったはずなのに、なんで誰も通報しなかったのかということ」それは、
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- 第一発見者になりたくない
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- 知らなかったことにして引っ越してしまえばいい
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- 関わりたくない
ということが今まで数多くの現場を見てきて感じてしまう。むしろ近所の人へお話を伺った際にも第一発見者になりたくないという発言は衝撃を受けたことがあります。
しかし、そうこうしているうちにもハエはどこからともなく部屋に侵入して遺体へ産卵してしまい発見が遅れれば遅れるほどみるに耐えない遺体になってしまいます。そうして発見された遺体と遺族が対面することはまずショックが大きすぎてみることができませんし、本人特定するのにDNA鑑定が必要になってきたりすることもあり、遺族が「最後のさようなら」を伝えられるのはDNA鑑定が終わってからです。その期間は数週間から2カ月くらいの期間を要することもあるので確定するまで複雑な心境で生活をすることになってしまいます。
DNA鑑定が確定するまでにも、亡くなっていたお部屋には死臭が漂っています。遺体を搬送したからニオイはしないのではないか。と思う方もいるかもしれませんが、遺体を食べたハエが窓にあたりその衝突ではじけ窓に体液のようなものが付着してしまいそれもニオイを放つ。そして、肉片と体液が部屋に残っているのでそれを食べて生き残っているウジがいてサナギになって成虫へと成長する。
腐敗してしまった遺体から発する死臭は、部屋の家具や壁紙などに染み付き遺体を搬送したからニオイがしなくなるわけでもありません。
警察も人間ですからすべての肉片まで持っていくことはしませんし、夏場にエアコンの付いていない部屋ではそれが発酵し強烈な死臭を放つようになります。
では、そのようなお部屋になって困るのは誰か?
死臭を放つ部屋の隣に住む住人や賃貸物件であれば部屋を貸していた大家さん、戸建ならば近所に住む住人の方々です。
マンションなどで隣に住んでいた場合、そのお部屋を特殊遺品整理人のような業者が清掃するまでずっと嗅ぎ続けて生活していくことになりますし、部屋の前を通るたびに死臭を嗅いで外出する。大家さんならば、そのお部屋のリフォームの修繕費用が掛かり物件としての価値も下がることもあります。そして、地方の戸建で自宅で亡くなり発見が遅れれば大量のハエが飛んできて食事の時間などにも飛び回っていることやピロリ菌(胃潰瘍)O157の食中毒などの病原菌を拡散させてしまうこともあります。
部屋に入る際には、感染症対策のために消毒や殺虫などをしてから入室することが基本です。上記のような病原菌もありますし、もしも結核菌などがあれば空気感染などの注意も必要になってきます。行き場を阻まれたハエなどは逃げるために必死で遺品整理人の鼻や耳の穴などに入ってこようとするため入室の際には顔面を覆うマスクや耳栓などをして入室することもある。死臭はお部屋に5分も居れば衣類や髪の毛などにニオイが付いてしまいます。そして暑くて肌の毛穴などが開いていればそこにもニオイが付いてしまうこともあり、何回も体を洗わないとニオイが落ちない時もあります。
入室して感じることは、「冷たい空気が漂った、時が止まった部屋」
そのあとに目に入ってくる光景は、どす黒く赤く染まった布団やタタミ・床などがここで息を絶えてしまったということの現実と同時に死臭が鼻の奥えと突き抜けてきてえずきや嘔吐などを引き起こす。遺体のあった場所は体の向きなどがわかるように体液が周りに流れていて輪郭を見ながら遺体跡を想像させられる。
その人の人生・最後の情景などを考えながらやっと遺品の整理に取り掛かる。
殺虫などで床に落ちたハエ、強烈な死臭を放つニオイの中、遺族のために故人との思い出の遺品と役割を終えた処分するものを一つ一つ分けていく。物をすべて処分することはかんたんなことですが「もしかしたら?」という考えを持ちながら作業していくことが必要で、もうひとりの身内としての意識を持っていなければ遺族の気持ちを理解することはできないでしょう。
遺品の仕分け作業と同時に進行していくのが遺体のあった場所の清掃となりますが、清掃道具と手袋なしでは扱うことができない清掃溶剤です。道具自体は20種類ぐらいを使い分けながらこびりついてしまった肉片などを清掃していくわけですが、夏場の暑い日は防護服や防護マスクをして40分も作業できないほど過酷な作業となる上、早急な行動が求められることとなります。
遺体のあった場所を清掃して部屋に染み付いた死臭を取り除く項に移る前に、私たちはある「儀式」を行う。故人の最後に立ち会えなかった遺族と誰にもみとられずに逝った故人の気持ちを考え、そして大家さんの心情も考えつつ「お部屋の清め祓い」を実際の僧侶を故人が亡くなった部屋にお呼びして執り行う。時間にして30分前後になるが葬儀の時の読経と同じように故人があの世へたどり着くことができるよう念仏を唱えお線香の煙で道しるべを作り、成仏できるように遺族と作業員のみんなで手を合わす。
祭壇に飾らしていただく写真は遺族が持参してくることがあるが、基本はその部屋にある故人の写真を遺族により分けていただき祭壇へ飾る。
死亡の連絡を警察から受けた時、連絡を取っていた遺族、故人と疎遠だった遺族とさまざまではあるが人がその部屋で一生を終えたことは変わりはない。葬儀では体のお別れをし、お部屋では魂とのお別れをしていただければ亡くなった故人は少しでも浮かばれるような気がするのではないでしょうか。
ひとり誰にもみとられずお部屋で亡くなっている「自宅死」
筆者が務めている会社では自宅死と定義しているのですが、世間では孤独死・孤立死と呼ばれていることが少なくないようです。孤独死とは2000年頃から徐々に使われ始めてきて現在まで独り身の人が部屋で亡くなっていることが孤独死と呼ばれておりますが、その呼び方には前から疑問を感じています。
実際にお部屋に行ってそのような本当に孤独だった人が亡くなっていたのか。ただ一人で亡くなったから孤独死という言い方で片付けてしまっているのではないだろうか。孤独死とは生きている側の決めつけの言葉でしかないのではとまで思っています。
孤独死の定義とは独居の人がある一定の期間発見されなかったから孤独死という定義付けになっていますがその一定の期間が定かではないということがあります。
人が一生懸命生きてきて、「明日も生きるぞ」という希望を持ち頑張ったけど亡くなってしまった。それを孤独死と言うのではなく少しもの尊厳を持ち自宅死という表現にできないのだろうか。そこに現代の人の冷たささえも感じてしまうこともこの職業をやっていると感じることもある。
「明日も生きるぞ」実際にお部屋でそのメモが記されていたものを見て微力ながら伝えていけたらと思ったのは忘れていませんが、そのような亡くなり方をする人が本当に孤独だったのか?
私たちの定義付けは、身寄りが本当に誰もいなくて後見人や保証人が探せなかった時、無縁仏で墓地に入る人を孤独死と定義付けしている。
身寄りが見つかったならばその死は自宅死で良いのではないかと思っている。その根拠として自宅で亡くなった方の多くはその近所の人と日頃面識があり、近所の人も故人の行動を認識していた話を所々で聞くからである。そうであればただ単に死亡したことが見つからなかっただけで周りが様子を見ようとしているうちに腐敗して臭いを放つまでになってしまうということ。
お部屋で亡くなった多くの方は、コミュニケーションが破綻しているのではなく日頃からあいさつなどを近所と交わしていた真実が私たちが特殊遺品整理人をしていて気づいたことである。
それを、生きている側がひとりでお部屋で亡くなっていたから孤独死というのは、生きている側の決めつけにはならないだろうか。それで気づくのが遅くなれば大家さんも困るが遺族も悲しい思いになるに違いない。
孤独死という言葉は2000年を過ぎてからキーワードとして使われてきて、ストレートな表現としてパワーワードにもなりうる力を持っているが、私たちが考えることは「孤独死という言葉は遺族を傷つける言葉」
遺族の心情を考えるならば決して連絡を怠っていたわけでもなく疎遠だったわけでもない人たちが、たまたま長期間海外出張や遠方に住んでいて目が届かなかった時に故人が亡くなっていただけのこと。
それを孤独死と言われた方の気持ちを考えたことはあるだろうか。
うつ病や失恋・消失感で気分が落ち込んでいる時などにより日々頑張って生きてきた人が、まだ外に出れなかった時に部屋で亡くなってしまっただけというタイミングで心も体も元気な人に孤独死という決めつけをされたらどうだろうか。
部屋にある写真はその人の人生を物語る、笑っている時もあれば笑顔がない時もある、怒って写っている写真もあれば悩んでいるような写真もあるそれらを共有できるのは遺族かもしれないが生きている側の痛烈な言葉を浴びてしまい平常心を保てる人もいれば、そうでない遺族もいることを現代は考えなくてはいけないのではないか。
- 黒いダイヤル式の電話の時代、不便でも電話をかけて出なければ近所に電話して近所の人が様子を見に行ってくれた。
- 横開きの開放感ある玄関の時代、外からのぞけば様子がみられた。今ではドアだらけで閉めたら閉鎖空間
- 醤油がなくなれば、近所にもらいに行ったりお裾分けをお返ししたりした時代、今や醤油が切れたら深夜までやっている店がある。
そのような時代は自然とコミュニケーションが取れていたり、様子がわかることが少なくなかったと思いますがこの先便利になればその代償となるコミュニケーションはなくなっていくものと感じる。
特殊遺品整理人が伝えたいこと
「孤独死は悪いことではない、言葉が悪いだけ」
人は誰もが急な発作などでいつ自宅で死ぬかわからない、病院でみとられて誰もが逝く訳でもない、だからこそひとごとに考えるようにはして欲しくない。
特に夏場の遺体は気温が高いので腐敗速度が速くニオイも損傷も激しい。通常のハエはツヤのないマットな色をしているが人間を食べて成長したハエは個体自体にツヤがあり黒光りしている。もしそのようなハエが飛んできたら近所で何かあったのかも?と虫の知らせではないが疑うことも必要です。
今や家族は集団で暮らしている訳ではない時代で家族が発見できない可能性を含め、近所に住む人たちの協力が必要ではないかと思う。