・人って死ぬんだ・・・
・こうやって人をおいていくんだな・・・
・もう話せないなんて悲しいな・・・
当時、家族を亡くした時に率直に感じた想いでした。
「家族を亡くすこと・・・」
人が人の前でいるときは、なるべく元気な姿を見せていたいと思っています。
だんだん弱っていく姿を見るのも辛いものがございますが、急に死が訪れるのも家族にとっては受け入れがたい現実で、そのあとの「もっと〇〇してあげればよかった」という後悔を何をしていても考えてしまいませんか?
丸1日を涙を流しながら、なんで逝ってしまったのか自分と故人に問いかけて、葬儀の時には涙も枯れはてて感情だけが泣いているように感じることがあります。
そんなときに、唯一助けになるのが、
・生前の故人の話を聞いてくれること
・片付けながら供養できること
・気持ちを理解してくれる業者に出会えること
それが、いちばん新生活に向けて一歩を踏み出していけることではないでしょうか。
経営者の私が歩んできた道
私は、20代前半にお付き合いしていた彼女が病で亡くなりました。
死を知らされた時、仕事中だった私は仕事が手につかなくなり腰がくだけしばらくうごけなくなっていました。
彼女と再会するには病院の処置室へいくことだったのですが、正直現実が受け止められず行きたくはありませんでした。
眠っているような顔、冷たくなった手、固まって動かない体、もう声が聞けなくなった時間、どれをとっても今の現実がウソであってほしいと願うばかりでした。
「自分が変わってあげたかった」と後悔しながら、彼女の父親と母親のまえで精いっぱいの気丈な振る舞いをしたつもりでした。もちろん彼女の母親も涙を流しながら駆け付けた私に精いっぱいの声を掛けたと思っています。
なによりも、娘を亡くした父親はことばに出しはしなかったのですが無言で悲しみを我慢していたことがわかりました。
葬儀までの時間、なにも食事がのどを通ることなく過ぎて行って家族と近親者だけで行われた葬儀はあっという間に過ぎて行ってしまいました。
「さようなら」
本当の意味での言葉は、実に重く自分の頭から四六時中離れることはありませんでした。
なにもやる気が起きなくなった私は、彼女の死後、人の役に立つ仕事をするために「清掃業」を営んでいた師である知り合いの社長に弟子入りしました。
私がまだわかかったこともあり、「ほんきでやる気があるのなら教えてやる、ただし、2年間給料はなし仕事は自分で見て覚えろ」という売り言葉に買い言葉のような感じで修業がスタートしました。
貯金を切り崩しながら、毎日現場に向かい言葉もあまり交わさない時間が過ぎながら師匠の技を少しでも盗もうとメモとペンを持ち、ペンを指していたポケットが破けながら必死でメモを取ったことを覚えています。
清掃業と言っても、ビル清掃のようなかんたんな仕事ではなく「退去の部屋のハウスクリーニング」です。
退去した部屋をきれいにして、次に住む人のためにきれいにする仕事、手を抜けば次に住む予定の内見者に不快な思いをさせてしまうような大事な仕事です。
冬になればエアコンのない寒い部屋で水を使い、手が赤くなって震えながらペンをとり字がミミズのような感じになっていることもございました。それでも、自分がやろうと決意した仕事なので2年間仕事を覚えられるまでは挫けるわけにはいきませんでした。
師匠の元へ付き、1年半が過ぎたあたりでだんだんと1件を任せられるようになっていきました。自分では習ってきたことをやってみたつもりでも師匠からみれば、まだまだという評価。
それでも、自分で何が違うのかを考え師匠の修正したところをメモに取って改善していきました。師匠について2年がたったころ集大成の現場を任されて自分が教わったことを済ませて、それ以上の自分の思ったプラスアルファを試してみました。
師匠からは「2年間給料なしでよく頑張った、おまえはもうどこでも大丈夫、どこにも負けることはない」と言葉と寸志をいただいたことが忘れられない経験になっています。
自分の経験を活かし遺品整理業へ
20年以上前、当時は「遺品整理」という言葉は認知されておらず、まだ亡くなった人の荷物や訳ありの片付けなどと呼ばれておりました。
私は、彼女の死と自分のために一生懸命教えてくれた師匠の感謝を胸に、「遺品整理業」をスタートさせました。
当時は、インターネットも充実しておらず世間に認知されるにはチラシで認知されることと口コミで認知されることしかなく勢いでチラシに「遺品整理」と大きく書いて配っておりました。
しかし、チラシは役に立つときもあれば、遺品整理という言葉で不快に感じてしまう方もいらっしゃって、時におしかりを受けるときもございました。
お叱りを受けてくじけそうになった時もありましたが、自分がサービスを届けたい人は「遺族」であるので遺族のために頑張ろうと自分に言い聞かせながら月日がすぎていきました。
2010年ころから時代が変わる
遺品整理という言葉が世間に認知され定着したのは2010年ころからです。2000年ころには「亡くなった人の片付け」というのをあまり表だっていうと縁起が悪いといわれ避けられる時代でもありました。
時代は変わり、遺品整理業ということを胸を張って言える時代にサービスは求められるようになっていったのです。遺品整理業界は順調に成長を続けていくサービス業になっていきました。
しかし、2014年ころから純粋に遺品整理というサービスを提供したいという人と、「儲かる」という言葉に魅せられた不純な人が現れ始めました。
業者が増えて行っても誠実な気持ちをもってやっている業者は少数で、業者が増えて行っても誠実な気持ちをもってやっている業者は少数で、業界の底上げも必要になってきました。
それにともなって、ご遺族にはきちんとした業者を選ばなければならない必要もでてきました。
業者が多くなれば選ぶことも面倒になりますが、1つのポイントとして「経営者の想い」を目安にご判断していただければ指標にはなるのではないでしょうか。
遺品整理をご依頼いただくのはほとんどがご遺族であるとおもっております、人と人の想いが故人へ対しての供養になると思っています。
現場に従事していなければ想いは書くことができません、そして人間性がなければご遺族が思っているような遺品整理のサービスを受けることができません。
私が大切にしているのは、自分に死ということを教えてくれた彼女や家族の死と仕事に役立つように技術を教えてくれた師匠のおかげで、わたしは成り立っています。
私だけではなく、携わってくれた人のすべての想いを背負って遺品整理サービスを提供していくうえで「人と人」というのはすごく大切であり人間性も必要なことだと感じているのです。
ご遺族が悲しみの中、業者選定でご面倒を掛けてしまうことは私たちが底上げできていない証拠でもございますが、きちんとした業者を選ぶように「経営者の想い」が欠けている業者には依頼しないほうが得策だとも思います。
誠実にサービスを提供しようとおもうならば、「経営者の想い」は必然的であってどのように思っているのかの企業の体質も知ることができるからです。
私の想いは、人がいなければできることがなかったかもしれません、教えてくれた故人や人に感謝してこれからも、ご遺族のためだけのサービスを考えて想いに寄り添っていけたらと思っています。
長々と、私の勝手な思いを貴重な時間にご覧いただきほんとうにありがとうございます。私の想いはご依頼いただいたすべてのご遺族や故人のために役立たせていただこうと思っています。
人と人、人と企業、人と社会をつなぐ架け橋となることが、私達の使命です。
皆様のこれまでと変わらぬご支援、ご愛顧を心よりお願い申し上げます。
代表取締役社長 増田 祐次